キャンプハウスの敷地候補に動きあり
このブログはもともと、キャンプハウスという名前の、自分たちの家づくりを記録するために始めました。が、記事の内容と言えば、買ったキャンプ道具か読んだ本、時々キャンプに行った、そんな話ばかり(もちろん、書いてて楽しいですが!)。候補地として考えていた土地が頓挫してしまい計画が進まないので、記事が書けないのは仕方のないことではあるんですが。
その、頓挫したままの敷地問題。
将来、相続する可能性のある土地が現時点で4つあるので、税金や管理コストなどを考えると、新たに土地を購入せず、それらの一つを敷地として選択するべきではないか、という結論を出したのは1年以上前の、昨年4月。
なかなか進展しない土地問題に痺れを切らして中古物件について考えてみた時期もありましたが、ここに来て、4つの土地のうちの一つに動きが出てきました。
T町の土地
今年の1月に妄想記事にした、T町の土地です。
今年の春頃まで、T町の家には90歳を超える父方の祖父が一人で暮らしていました。現在は施設に入居して、空き家になっています。
施設に入ってはいますが祖父はとても元気ですし、「気に入らん」と言って戻ってくる可能性もあり、父がほぼ毎日のように通ってメンテナンスを施しています。
そんな状態であるがゆえか、今後(つまり、祖父が亡くなったあと)、その土地と家をどうするのかといった具体的な話はまだなされていません。親族はそれぞれ皆、自分の土地と家を持って暮らしているため、T町の家に、彼らが移り住んだり建て替えたりしてその土地を継承していく、といった可能性は現実的にほぼゼロの状態です。
先日、実家に寄った際、父にT町の土地について話をしてみました。要点としては、「祖父が亡くなったあと、僕がその土地や家を譲り受けて、使うことはできるか?」というものです。
父にも兄妹がおり、相続については独断で決めることはできないため、その場で結論が出ることはありませんでしたが、基本的には問題ないのではないか、と。これについて後日、兄妹で話をしてみる、とのことでした。
ただし、父や彼の兄妹が承諾してくれたとしても、そのままT町の土地に家が問題なく建つかと言えばそうではなく、近隣に、かなり古いビルが建っていたり(しかも無人)、コンクリートを積み上げただけの違法建築物が建っていたりと、安全性の観点で疑問が残る点がいくつかあり、こうした問題について検証し、そこにキャンプハウスを建てるべきか否かを検討する必要があります。
とはいえ、もし承諾されれば、かなり現実的なキャンプハウスの敷地候補が登場するわけで、このブログにも、妄想話ばかりでなく、具体的な進捗状況をお伝えする記事を掲載できるようになるかも知れません。
また、いつものように、「ダメでした…」みたいな記事を書くことになるかも知れませんが(笑)。
S町の土地
ところで、僕の父が暮らすS町は、僕も3年前まではそこで暮らし、鳥取を離れていた時期を除いても、20年近くを過ごした思い出深い町です。
僕が小学生の頃は、一つの町内に六つの登校班があり、一つの班は10名前後の学童で構成されていました。つまり、町内には少なくとも60名ほどの小学生がいたということです。
それから30年ほど経つ今、S町の路上に子どもの姿を見ることはほとんどありません。かつてS町に暮らしていた子どもたちは、大人になって別の町に土地を買って家を建てたり、僕のようにアパート暮らしをしているんでしょう。
そのことを父に話すと、「この町の高齢化率は60%を超えてるんだよ」と。10人に6人以上が65歳以上というわけです。僕が高齢者の仲間入りをする四半世紀後には、S町はゴーストタウンになっているかも知れません。
S町から、鳥取の主要な幹線道路を隔てたところにある新しい住宅地は、30年前のS町のように、比較的若い家族がたくさん暮らしていて、賑やかな雰囲気です。
しかし、親や親族が暮らす土地や家を受け継いだり中古住宅を購入するのではなく、新しい土地と家を買って暮らす現在の新築至上主義が続くなら、その新興住宅地も、四半世紀後には現在のS町のようになり、その先にはゴーストタウンが待っているでしょう。晩婚化、晩産化が進む現代では、もっと早いタイミングでそうなるかも知れません。
先日、鳥取市の中心市街地(鳥取駅を中心としたかつての繁華街、今はシャッター街となっている)を活性化するための検討委員会なるものを傍聴してきました。空き家や空きテナントなど、いわゆる遊休不動産をリノベーションし、そこに魅力的なスモールビジネスを数多く展開することで地域の魅力を高め、商圏としての価値を引き上げつつ、居住人口も増やすのが目的です。
しかし、僕たちが高齢者になるそれほど遠くない将来、S町のようなゴーストタウンが鳥取じゅうに生まれ、米国デトロイトのようになっている可能性があります。今、ゴーストタウン化しつつある中心市街地のケアは大切なことなのかも知れませんが、四半世紀後にやってくるゴーストタウン化の波は、かなり巨大なものになる気がします(行政がこれを踏まえ、本物のコンパクトシティを中心市街地に作ろうと長期的計画で狙っているとしたら、それはもしかすると面白いのかも知れませんが)。
中心部だけではなく、自分の親や、自分が暮らす町に目を向け、将来をじっくり考えてみる時間も必要ではないのかな。
自分の暮らす土地や家を考える時、なんとなく、こんなことを考えてしまうのでした。