祖父の死
今週、祖父が亡くなりました。
病院で静かに息を引き取るのを皆で見守り、自分たちが乗ってきた車に乗せてT町の家に連れて帰りました。
彼の息子と娘、その配偶者、孫やひ孫たちだけでの家族葬は実にこじんまりとした、寂寥感と、しかし幸福感にも満たされたものになりました。
多少偏屈なところはあったものの、94歳と半年という長い人生で、最後まで大病を患うこともなく、それゆえ親族に大きな迷惑をかけることも過度に世話になることもなく、自分で(株式投資で)蓄えた資産で自らの生活環境を整え、暮らしてきた祖父。
そのことに、皆が心から「お疲れ様」「ありがとう」と言えたお別れになりました。
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祖父とは、若い時期の僕の人生の選択について理解が得られなかったことがもとで疎遠になり、その後、東京と鳥取で離れて暮らしていたこともあって、十分にコミュニケーションがとれていない状況が続いていました。
鳥取に帰ってきてからもその状態は続いていましたが、彼がまだしっかり話せる時に見舞えて、言葉を交わすことができたのが僕にとって救いとなりました。
僕が祖父からかけられた最後の言葉は「ヒゲ、剃りなさい」でしたが(笑)。
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祖父が亡くなってからの数日間、T町の家にみんなが集まり、昼も夜も一緒に過ごしてお通夜や葬儀の段取りを組み、最後に精進落としをして別れたあと、祖父が残してくれた本当の財産は、この仲の良い家族なのだなぁと、しみじみと考えていました。
ふつうに考えて、僕には、次の次に順番が回ってきます。それまでに何ができるのか。
一番重要なことは、家族や親族をこれまで以上に大切にし、このつながりを、次の世代にも継いでいくこと。
そして、そのためには、aw家のルーツが凝縮されているT町の土地が残されているべきではないか。
そんな想いがとても強まってきました。建築家に見てもらった結果、ここには家を建てない方が良い(住まない方が良い)という意見をもらった土地ではありますが、何とかすべく考え、動いていきたいと思います。