建築家 隈研吾のテント論
K氏と柳茶屋キャンプ場でコットの撮影をしていたら、K氏が「隈研吾とスノーピークがテントつくってるの、知ってます?」と。「え? 隈研吾って建築家の?」
こちらがその記事、「私とスノーピーク」。
非常に面白い記事で読み応えがすごく、このブログで紹介したいクダリがたくさんありますが、あり過ぎて、だったら全部読んだほうがいいのでは。ということで、ぜひ読んでみてください。
以下、読書感想文をつらつらと書いてみます。
取り返しのつく建築?
この記事の中に、こういうクダリがあります。
移動ができる。つまり取り返しがつく。そういう取り返しがつくものが、僕は人生にとって、とても重要だと思っています。取り返しがつかない人生って嫌ですよね? どこかに住んでも「ああ失敗したな」ということはよくあるでしょう? 引っ越してから隣の人とトラブルが起きてしまったりとか。マンション売ろうとしたら値段が半分になっちゃってたとか。今の世の中、取り返しがつかないことに取り囲まれている。だからこそ取り返しがつく、ここが気に入らなかったら明日は別の場所に移動できる、その感覚が建築にとってもすごく貴重だと僕は思うのです。
このあと、「キャンプだと移動ができる、それが醍醐味。移動を繰り返すことで自分にとって何が快適か、心地よいかを学んで賢くなっていく」とあります。
しかし、実際に土地を買って家を建てれば、木造だろうがコンクリートだろうが、土着が求められます。物理的な移動(=引越し)は簡単ではなく、難しい。「明日は別の場所に移動できる、その感覚が建築にとってもすごく貴重」を、実際に家を建てようとしている自分たちはどのように受け止めたらいいのか、解釈したらいいのか、ちょっと釈然としません。
日本でも古い世代だと、地方に来る人間には「骨を埋める気もないくせに」などという排他的な見方をしていた。でも今の若者はノマド的に地方をポジティブに楽しんでいる人が増えている。「相性が合わなかったらまた別のところに行けばいい」という、取り返しのつく人が増えているのです。
共感します。この軽やかさは人生には必要ですし、僕も東京での生活では完全にこの考え方でした。しかし、最初に引用した内容も含め、賃貸住宅に暮らす人には当てはまりますが、やはり家を建てる人の話ではない気がするんですよね。
取り返しがつかない方がいい
問題が生じたら、どこか別の場所に行きたくなったら、軽やかにここを去る
というノマド的な希望を持ち続けるよりも、むしろ地域やコミュニティ、自分の建てた家に完全にコミットしてしまったほうが、鳥取のような地方都市に家を建てる人にとってはメリットのある態度だと思います。そのほうが、問題が生じれば本気で解決したくなるし、仲間も増えて生活も楽しくなるでしょう。
本当に「取り返したい」時には、なんとかして出て行くんじゃないでしょうかね、人間。
テント的な住宅
隈氏の話を全否定するわけでは決してなく、「あ、この考え方って家づくりに取り入れられるな」っていうのはたくさんありました。
この記事の中で隈氏が書いているテントの良さとして、これまで書いた「移動のしやすさ」のほかにも、「家(テント)を自分が建てたという自信」「近隣の気配が伝わりやすい」「地べたでの暮らし」「自然に近い」といった点を挙げています。
これらの点はキャンプハウスにも取りれることができる考え方だと思います。
自分が建てたという自信
キャンプハウスはとことん考えて建てたいと考えています。ハウスメーカーのテンプレや建築家に任せきりではなく、素人ながらに自分でしっかり考え抜くことで、自信や愛着、誇りに繋がるような気がします。そしてこれが、自分の家へのコミットメントを強めることにもなろうかと。
近隣に気配が伝わりやすい
「近隣に気配が伝わりやすい」は、近隣との接点を多く持ち、繋がりやすい、と理解することができると思います。昔の日本家屋にあったような縁側のような。近隣(コミュニティ)との接点を持つことは、家を建てるうえで大切な要素かも知れません。
地べたでの暮らし
地べたでの暮らしは、そのままですね。人は地面の上で暮らすべき、というのは僕も同じ考えです。
東京で暮らしていた頃、超高層のマンションで暮らしている知人が「おかしくなりそうだ」と話していたことがあります。地面から遠く離れたところにずっといると、神経がまいってくるような気がする、というのです。隈氏もこの記事の中で「マンションにいると場所に対する感性が鈍くなる、というか鈍くないとやっていけない」と書いています。記事中、別の意味で彼はこれを言っていますが、高いところで暮らすには鈍感力が必要なのかも知れません。
このブログでも何度か書いていますが、キャンプハウスの活動の中心になりそうなのが土間。この土間は外へと直接繋がっているような半内半外のような空間で、まさに地べたとつながった場所です。
また、キャンプハウスはできれば平屋にしたいと思っていますが、それもこの考え方から。二階ですら、僕にとっては「地面から遠い場所」なのです。
自然に近い
できれば、山の中、林の中とかに建てたいですねぇ、キャンプハウス。
僕の隈研吾体験
さて、最後に、僕の隈研吾体験。
かなり話はズレますが、東京に暮らしていた頃、江東区東雲という当時はまだ何もなかった埋立地に建てられたUR都市機構の公団住宅に住んでいたことがあります。
6つの街区に分かれていて、その中の3街区の一室に住んでいたわけですが、この街区の建物は「隈棟(くまとう)」と呼ばれていました。
そう、隈氏の設計だったのです。
探してみたら、当時撮った写真がありましたので、少し紹介しますね。
シンプルだけれども、シャープでエッジの利いたデザイン。
ベランダの柵に布団がかかっていますが、実はこの行為はこの団地では「景観を損ねる」という理由で禁止でした。だから、僕も柵の中でしか布団を干したことありません。
二つの棟に分かれていて、それをランダムに架けられた渡り廊下が繋いでいます。
二つの棟の中間、中庭。
僕が住んでいた部屋は、単身者向けのワンルーム。と言ってもベランダ含めて90平米、居室とキッチンで24帖、角部屋だったので四方のうち二方が床から天井まで窓、というとても素敵な部屋でした。
テントぽくない建築でしたけど(笑)。
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おまけ
養老孟司氏と隈氏が「住まう」ことについて対談する本。面白そうですね。