鳥取という田舎に暮らすということ
僕は1995年から2011年、21歳から38歳までの約17年間、東京で暮らしていました。東京ではそこでしかできないであろう経験をし、様々な価値観に触れてきました。
鳥取には仕事で帰ってきました。期間限定、それも短期のつもりで。しかし、40歳を前にした僕には、生まれ育った街での暮らしはとんでもなく快適で、楽しいものでした。老いを目前にしつつもまだ元気で暮らしている両親や親戚たちとの時間は、僕にとって、とても大切な宝ものとなりました。
東京での暮らしと、二度目の鳥取でのそれが混ざり合って、僕の価値観は形成されてきました。
そして鳥取でトム(妻)に出会い、この人と一生暮らしていこうと思いました。丁寧に時間を紡ぎ、宝石のような日々にしたいと。僕も彼女も、心からいいなと思える暮らしを、この鳥取で作っていきたいと思ったのです。
今、僕とトムが暮らしているアパートは、鳥取市街地のド真ん中にあります。駅も(夜の)繁華街も近く、スーパーや病院、コンビニやカフェ、図書館、役所も徒歩圏内。アーケード街にあるため家の前は雨でも雪でも傘をささずに歩くことができ、もちろん駐車場も屋根付きです。僕は在宅勤務だし、トムの通勤時間は10分前後と近い。とても便利な環境で暮らしているわけです。
しかし、これは僕たちが求めている、鳥取での暮らしなのだろうか。家を建てることを決めてから、そう考えるようになりました。
飲み屋街から歩いて帰れることや、月に1〜2回ほど使う施設が近くにあることが、自分の人生において本当に大切なことだろうか、と。
僕の鳥取に対する評価は、東京や神奈川など、県外にいた時の自分の視点抜きには語ることができません。外から客観的に鳥取を見たときに、何が鳥取の良さだと思ったのか。自分が認めた良さが確かにこの地にあるのなら、自分の暮らしにできるだけ取り入れようとしないのは、おかしなことではないだろうか。
僕たちが、素敵だなと思う家は、海や山、川といった自然が近くにあり、敷地の中に小さな畑を持つことができ、隣に立つ住宅から漏れ聞こえるテレビの音に悩まされることもない。たとえば東京の友だちが来たときに「鳥取って、いいところだね」と、砂丘や大山や三徳山に連れ回さずとも自宅にいながらにして思ってもらえるような場所。
当然のことながら、毎日のことである通勤を蔑ろにすることはできないし、食料品店や生活用品店は近くにあったほうがいいと思います。しかし、やはり、自分たちがその家でどんな時間を過ごしたいか、ということを、鳥取と切り離して考えることはできないと、考えれば考えるほど、そう思うわけなのです。