IDEEにまつわる思い出と新しく買った椅子

東京で暮らしていた頃、家具のお店で働いきたいと考えていた時期がありました。

1995年の上京から数年間はとにかくお金が全くない状態でしたから、僕の余暇の過ごし方といえばもっぱら都内を歩いてまわり、いろいろなお店に入ってみる(そして何も買わずに退店する)ことでした。最初の1年間は目黒駅の近くに住む友人宅に居候していたこともあり、家具通りと称される目黒通り(都道312号)をよく歩きました。当時はミッドセンチュリーモダン(Mid-Century Modern)という20世紀中頃のデザインがリバイバルしブームで、目黒通りの家具屋にもたくさんのMCMの家具が並んでいましたね。

Eames Molded Plastic Arm Shell Chair
ミッドセンチュリーといえばイームズでしたね。当時はレプリカは多くなく、ビンテージの販売でした

イギリスのコンラン・ショップが日本第一号店を新宿に出店したり、hhstlyeが建築家の妹島和代氏に設計を依頼して美術館のようなインテリアショップを建設したりと、家具・インテリア業界に勢いがあった時代でした。まもなく法人としては消滅する大塚家具のショールームにもたくさんのお客さんがいましたねぇ。

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「恐怖の大王」が降ってくることなく平和に2000年を迎える頃には、僕は単なる家具好きではなく、働きたい!と本気で考えるようになっていました。足繁く通っているうちに、客としてではなくスタッフとしてそこに立ちたいと思うようになったわけですね。

特に好きで働いてみたいと思っていたのは、当時話題になっていたドローグ・デザイン(Droog Design)を取り扱うTRICOや、国内外の新人作家の作品を積極的に製品化したり、Tokyo Designers Blockというイベントを開催するなど活発な活動が注目を浴びていた黒崎輝男氏率いるIDEEで、ほとんど毎週のように通っては、スタッフを募集していないかチェックしていました。

IDEEでの面接

中でも僕が特に働いてみたかったのはFLOWER@IDEEというIDEEの中にある花屋です。花屋とはいえここは一般的なそれとは異なり、花や観葉植物を販売するだけでなく、それらをインテリアの要素として捉えた住空間のデザインやプロデュースも行っていました。

ある週末、FLOWER@IDEEの店頭にスタッフ募集の張り紙があるのを見かけ、早速応募しました。

IDEEは応募者全員と面接するというポリシーでした。人気の家具店の求人にはいつもたくさんの応募があったようで、一次はだいたい集団面接。朝から晩まで、1時間につき10人前後、それが数日間続きます。

FLOWER@IDEEの面接のことは、よく覚えています。

当時のIDEE本店は南青山にあり、岡本太郎美術館やブルーノート東京などがすぐそばにありました。この本店の3階にCAFE@IDEEというカフェがあり、店内の隅にあったガラス張りの個室で、その集団面接は行われました。

10人くらいの応募者が大きなテーブルを囲むように、そして入口側の席に面接者が座りました。お誕生日席には何の巡り合わせか、記憶では唯一の男性だった僕が座ることに。

面接者が履歴書や職務経歴書などを手に、応募者に一人ずつ簡単な自己紹介と自己PRをさせていきます。「日比谷花壇で5年間働いていました」「イギリスでガーデニングを学びました」そんな発言が続いていきます。応募者が話し終わると面接者が幾つか質問し、時に話が盛り上がったりしていました。

お誕生日席に座る僕に順番が回ってきて、参加者全員の耳目が僕に集まりました。

「awです。鳥取県出身です。地元で消防士をやっていましたが上京して、今はアルバイトをしながら美術学校に通っています。植物とインテリアが好きで応募しました」

「はい、ありがとうございます。では次の方」

そう、僕には何の質問もなく、華やかな経験を持つ次の候補者にみなの関心は移っていきました。僕はいたたまれず、そこから逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

一週間ほどしてFLOWER@IDEEから、落選通知書が2通入った封書が届きました。

あの頃、アルバイトの面接に30回連続で落ちるなど仕事を見つけるのに非常に苦労していて、自信を失った僕は1か月近く何もせず家に籠っていたりと辛い時期を送っていたと思います。

でもなぜか、IDEEでの面接や2通も入っていた落選通知などは決して苦々しい記憶としては残っていないんですよね。僕にとってIDEEは憧れの場所であり、結局仕事で関わることができなかったこともあって、それがずっと続いていたのかも知れません。

IDEEのSTILT CHAIRを娘用に購入

夢破れて別の仕事をはじめた後は、ソファや変わったデザインの椅子など、IDEEでは特に椅子を中心に消費者としてお世話になってきました。

IDEE MOANA SOFA
以前のオフィスは僕個人の家具を使っていました。僕が座っているのがIDEEのMIMO SOFA

IDEE POD
あぐら専用の椅子は現在も我が家に鎮座しています(画像出典:IDEE

トム(妻)と結婚して買った家具のうち、食堂で使う椅子は(またしても)IDEEのものを選びました。STILT CHAIRというごくごくシンプルなデザインのコンパクトな椅子です。

IDEE STILT CHAIR
デザイン:Marina Bautier(画像出典:IDEE(ブルーグレー

娘が食堂で座る椅子は成長に応じて何度か変わってきましたが、買ったSTILT CHAIRは大人が使うための2脚だったので、僕やトムが座る椅子とは違っていました。

自分だけ違う椅子が嫌なのか、大人と同じ椅子に座りたがる娘に「大きくなって、大人の椅子に座れるようになったら同じ椅子にしよう。そうだなぁ、小学生になる頃なんてどうかな」などと言って凌いでいたのですが、遂にその時がやってきました。

近所の無印良品に行き、同じSTILT CHAIRのブルーを注文。食卓に並べると娘はさっそく嬉しそうに座ったんですが、僕は全然違うことを考えていました。

品質が落ちている……

詳しいわけではありませんが、見た目の変化や座面の構造の簡素化はド素人の僕でもすぐに分かります。

特に目立つのが脚の見た目の悪さ。

IDEE STILC CHAIR 2014
2014年版

IDEE STILT CHAIR 2022
2022年版

椅子の脚を固く絞った雑巾で拭いて磨くのが好きな僕にとって、好みの木目でない脚の椅子というのは受け入れ難いものがあります(笑)。

また座面下にも大きな違いが見受けられました。

IDEE STILC CHAIR 2014
2014年版

IDEE STILT CHAIR 2022
2022年版

接合部の仕上げの美しさ、使われている材の質が全く違います。ついでに接合に使われているボルトを戯れに抜いてみると太さが全く違っていました。

IDEE STILT CHAIR 2014年版と2022年版のボルトの違い
手前が2014年のSTILT CHAIRに使われいたボルト。太けりゃいいというものではないでしょうが…

娘が「これ、ワタシの椅子!」と嬉しそうにしている姿は単純に愛おしいのですが、内心複雑な気持ちでした。

ところで、このSTILT CHAIR、値段は変わらないのに品質だけ落としている、というわけではないのです。

この記事を書きながら、「もしかして値段変わったのかな」とメールの履歴やSNSへの書き込みを確認したところ、某SNSに以下のような書き込みを見つけました。

彼らとしては、最初から8000円を価格に載せて送料無料って言えると思うんだけどね。だから、4万円の椅子って考えればいいかってことにしたんだわ。8000円もする配送ってどんなの?って興味もあるしね。

2014年にSTILT CHAIRを買った時は、どうやら送料が1脚ごとに8000円(!)、それを含めると4万円ということなので引き算すると3万2000円くらいだったようです。当時は消費税が8%だったので、3万円に消費税の2400円を加算して3万2400円、といった感じでしょうか。

このたびのSTILT CHAIRのお値段は税込み2万5000円でしたので、税抜きで2万2727円。7000円以上の値下げとなっています。

なぜIDEEは価格も品質も下げなければいけなかったのか、その理由は分かりませんが、少し感じることがあったので書いてみます。

最近、様々な食品や日用品の値上げのニュースをよく耳にします。

これは日本が経済成長しているわけでも製品やサービスの付加価値が増加したからでもなく、経済成長を遂げている他国から輸入している原料や製品の価格が上がっているからです(コロナ禍に起因する混乱の影響もありますが)。

これまで輸入に多くを頼ってきて今後もそうせざるを得ない我々は、所得は増えないのにモノの値段だけがドンドン上がって厳しい生活を送ることになる可能性があります。高くても輸入できればいいほうで、今後は他国に買い負けて輸入できないものも多数出てくるでしょう。

「安いのにそこそこ良いもの」は市場から姿を消して、「ちょい高めだけど品質悪い」といった製品が増えてくるかも知れません。

STILT CHAIRだけでIDEEというブランドの方向性を予測するのは乱暴ですが、安い材に変えて値段を下げるのではなく、良い材料を使って彼らが考える値段で販売してほしかった。それがブランドの価値だと思うからです。

そんなことを考えたお買い物でした。

  1. ヤマダ電機 プレスリリース「子会社間の合併に関するお知らせ」(2022年2月14日)
  2. Wikipedia: 恐怖の大王
  3. mimo sofaは残念ながら数年前に諸事情で廃棄。このソファの写真が掲載されているブログを見つけました。かつての南青山本店の懐かしい店内の写真も掲載されています。
  4. 来客用の椅子は、以前から使っている天童木工のシェルチェア(T-3036SP-ST)を愛用しています(一脚、僕の父が壊しましたが涙)。
  5. IDEEは2006年に無印良品を運営する良品計画に買収されて子会社化したのち2017年に解散していますが、IDEEブランドは生き残っており、IDEEショップの他に無印良品で買うことができます。
  6. IDEEという法人が無くなり、良品計画の一セクションになったことが最大の要因だと僕は思ってますが

aw

Live in Tottori-Pref, JPN. Love Camp, Sandwich, Coffee, Beer and Scotch on the rock. Pursuing Self-Sufficiency Life.

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2件のフィードバック

  1. amukatamukat より:

    IDEE、懐かしい響きです。

    学生時代に憧れて同じ青山のお店に通っていました。2000年代の裏原が全盛期だった時代に「南青山」という響きだけで震えました。
    裏原より人は少ない印象でしたが、みんな品があると感じたのを覚えています。IDEEの向かいにあるBLUE NOTEが、さらに大人な雰囲気を出していて学生だった自分には敷居が高い街だったのですが、おしゃれな家具が見たいために通いました。学生だったので当然、接客もしてもらえずゆっくり見れたのが幸いでした。

    その後、自分の中の家具ブームは去ってしまったのですが、雑誌等でIDEEを見ると「まだあるんだな」と思い安心していました。

    しかし、品質がこんな事になっていたのは驚きです。見えない箇所とは言え悲しいですね。憧れたブランドだったので、値段が高くても良いものを作り続けて欲しいと思いまました。

    いちおう物作りの仕事をしているので、最後の方の文章には危機感を感じました。
    (頑張らなければという意味です)

    • aw より:

      amukatamukatさん、こんにちは! コメントありがとうございます😊

      IDEE、お好きだったんですね。南青山のあの独特の雰囲気、少し背伸びして歩く街と言いますか、行くたびに背筋が伸びる思いがする、そんな街でした(僕にとっては)。JAZZが好きなので、在京時はよく小さなライブハウスやバーなどで演奏を楽しんでましたが、ブルーノートには結局行かれずでしたね。心残りです。

      ものづくりのお仕事をされているんですね。
      商売としてものをつくる以上、当然それが売れなければならないし、とても重要なことだと理解はするのですが、一方で、好きだった憧れだったブランドが自分の期待とは違う方向に進んでいっているのを見るのは、やはり少し寂しい気持ちになりますね。
      僕もいわゆるものづくりとは違いますが、デジタルでのものづくりを仕事としているので、襟を正す思いでこの記事を書いておりました。

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