キャンプハウスとは?をあらためて考えてみた
キャンプハウスの土地も決まらず、キャンプにも行かれていない。記事のネタが生まれない、ブログ的に悶々とした日々が続いています(笑)。
「こんなペースで、キャンプハウスは本当に実現するんだろうか」と考えることもしばしばなのですが、それと同時に、もう一度「キャンプハウスとは?」をあらためて考えたりもしています。
その結論によっては、もしかすると、極端な話、家を建てることがキャンプハウスの実現ではないかも知れないからです。
キャンプハウスとは?
このブログを始めた1年半前に「キャンプハウスとは?」という記事を書きました。
いま、あらためて読み返すと、当時の僕は「キャンプハウスとは?」の問いに、自分なりの答えを持っていないことが分かります。
この答えを出すには、まず、自分なりの「キャンプとは?」という問いに対する答えを持っている必要があります。
当時、キャンプの回数だけはやたらと多いけれども、「自分にとってのキャンプとは?」という問いに向き合っていなかった僕は(そんな問いを立てながらキャンプする人は、あまりいないでしょうが)、当然、その答えを持っていなかったわけです。
そもそも、キャンプという言葉の定義自体が曖昧ですよね。
例えばデイキャンプという言葉がありますが、ピクニックとどう違うのかよく分かりません。テントを張らずに寝ると野宿になるのか、タープならどうなのかも良く分かっていません。
しかし最近、キャンプに行かれないことで、逆にキャンプのことについて考える時間が増え、僕なりの定義を持つことができました。
それは、
自然の中で過ごす日常生活
というものです。
よく分かりませんね。僕もよく分かっていません(笑)。
説明が難しいのですが、僕にとってのキャンプは、普段の生活から抜け出して非日常の空間で時間を過ごすためにやるものではなく、日常生活の場所が家の中から外に変わっただけ、ということです。
「よーし、キャンプ場行くぞ!」と大荷物を車に積んで朝早く出かける必要はなく、例えば、
「今日の晩ごはん、どこで食べる?」
「あー、天気もいいし、どこどこの河川敷で食べよっか」
とか、
「今夜は静かに本読みたいから、キャンプ場にテント張ってそこで読むよ。そのまま寝て、朝帰ってくるね」
「りょーかい〜」
みたいな感じで、僕にとっては十分キャンプ(的)なのです。
そして、それが気軽にできるのが、海も山も川も、市街地から車で十数分圏内にある鳥取の良さの一つだと思います。
もちろん、料理も飲み物もしっかり準備して、大人数に合わせたキャンプサイトをつくって、みんなでワイワイ楽しむキャンプもありですが、それも言ってしまえば、ホームパーティを屋外でやっているのと同じ。
キャンプハウスは必要か
こうして考えてみると、キャンプハウスというコンセプトを持った家の必要性に疑問が生じてきます。
僕にとってのキャンプが「家の外で過ごす日常生活」なら、そしてそれが容易に実現できる土地に暮しているのなら、それを家に求めること自体が矛盾するし、そもそも必要がないからです。
このブログの存在意義が揺らいできました……(笑)。
無理にこじつけて結論を出してみると、「家なのに外みたいに暮らせる家」がキャンプハウスになるのかも知れません。
キャンプハウスが、ログハウス風の家に住んだり、ウッドデッキにテントが設営できたり、キャンプ用の家具や道具を使う生活を送る場所ではない、ということはハッキリしてきました。