大雪が降って考えたこと

週末から降りはじめた雪は、思った以上に降り積もって、鳥取では数年ぶりの大雪となりました。僕の記憶が正しければ、僕が鳥取に帰郷した2011年以来です。

この雪の影響で、僕の友人が乗った神戸から鳥取に向かっていた高速バスも山間部で立ち往生し、車中泊を余儀なくされ、一夜明けても未だに動きがとれない状態だとか。

鳥取・智頭の国道で立ち往生
撮影:バス車内で一夜を過ごした友人

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地震や津波などの巨大災害に耳目は集まりがちですが、何かの拍子にこれくらいの大雪が人と機能が密集した都心部に降ったら、一時的にせよ、完全に機能麻痺するでしょうね。

備えることって、実は難しい

しかし、そんなことが本当に起きることはないだろう、あるいは、可能性はあるけど自分にはあまり関係ないだろうと、多くの人が考えています。

ここ鳥取でも、これだけの大雪になってからはじめて、ホームセンターに除雪用のスコップを買いに走る人が続出したそうです。

日本のみならず、世界中いたるところで自然災害が起きていて、つい先日も鳥取県中部で震度6を記録した地震が起きたばかりなのに、雪の降る鳥取での暮らしに必要な当たり前の備えができてなく、自分に影響が出て初めて、動きはじめる人が多かったわけですね。

僕はそうした人たちを批判したいわけではなく、日々の生活を送りながら備えにも気を配ることがいかに難しいかということを、この話を聞いて考えたわけです。

暮らしの解像度を上げる

先日、とても興味深い記事を読みました。その記事の、特に印象に残った部分を引用します。

田舎暮らしとは、田舎10%、暮らし90%くらいが正しいところ。田舎に越すと暮らしの解像度が恐ろしくあがってくる。雪かきの仕方、歩き方、靴の選び方、下着の選び方、隙間風対策、スタッドレスタイヤ、連続するコーナーやカーブの曲がり方、泥道からの奪還、畑仕事、野良仕事、水道の凍結防止の方法、壊れた道具の直しかた、お隣さんとのコミュニケーション、自治会、子供会、その他たくさん。全て暮らしそのもののことになる。これが田舎なのだが、住んでる実感としては暮らしなのだ、暮らし。日々の暮らしのことなのだ。
引用:Medium/Naoki Yoshioka「因数分解

僕が特に面白いなと思ったのは「暮らしの解像度」という表現です。

この方が書かれているのは、田舎では、暮らしを構成するたくさんのものごとが、暮らしそのものに直結していて、一つひとつが粒立って輪郭がしっかりしている=解像度が高い、ということだと思います。

さらに、この「解像度」を個々の要素に当てはめてみると、どうでしょうか? 自分たちの暮らしを見つめる力が向上し、日々生じる問題を未然に防ぐことに繋がるかも知れません。

この週末、僕はトム(妻)と1歳の子どもを連れて、来月の雪中キャンプ候補地の下見を兼ねたドライブに出かけました。僕たちが暮らす鳥取市街地から車で約1時間、岡山県との県境に位置する、山深い湖畔が目的地です。

到着する前から、周囲は雪深い景色に変わり、そのうち道路も完全に真っ白になり、道路の両脇には除雪車が積み上げた雪で高い壁ができていました。

完全に凍結したダム湖を横目に眺めながら到着したキャンプ候補地は、積雪1メートル以上あり、そこにあるはずの駐車場や広場は一切見えなくなっていました。

そのうち、吹雪いてきて視界が真っ白になったので、そそくさと帰路に着くことに。

この時、車に残っていたガソリンは目盛りが3つ。あと1つ消えたらエンプティランプが点灯するという状態で、さらに、車内に人数分の毛布などは置いてなく、暖をとるのはエアコン頼みでした。

もし雪道でスタックしたりなど何らかのトラブルが発生して立ち往生し、一晩そこに止まらなければならなくなったとしたら……。

救助が来るのを待たずガソリンは底をつき、エアコンが止まった車内はすぐに寒くなり、しかし、毛布にくるまることもできません。

かろうじて子ども用の毛布は置いていたものの、彼女の食事やおやつ、交換用おむつなどを用意できていたかと言えば、十分ではありませんでした。

僕は、自分だけならまだしも、家族を連れての山深い場所へのドライブという行動をボンヤリとしか見てませんでした。

ガソリンを満タンにする、一番暖かい上着を着ていく、毛布を人数分乗せておく、子どもの食事やケア用品、着替えなどを準備しておく。

もしも僕が日頃から解像度高くものごとを見ることができていたら、どんな楽しみや危険があるかをはっきりと認識し、最低限度の備えを出かける前にできていたはずです。

感度も上げる

もちろん、生活に関するあらゆる要素の解像度を上げて見ていたら疲れてしまいます。

だから、何に焦点を当てるべきかを正しく判断できるよう、感度も上げておかないといけないわけですね。

何が大切なことか、つまり、何が命に関わるかをきちんと見極めて、解像度を上げてその要素を見つめ、必要ならすぐに対応する。田舎に暮らし、自然との共生(キャンプ的な暮らし)を理想としているのであればなおさら、そんな技術を持って、暮らしの解像度をより高めていかないといけないな。

大雪のニュースを見ながら、そんなことを考えていました。

aw

Live in Tottori-Pref, JPN. Love Camp, Sandwich, Coffee, Beer and Scotch on the rock. Pursuing Self-Sufficiency Life.

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2件のフィードバック

  1. piropossible より:

    awさん、こんにちは!
    「暮らしの解像度が上げる」とてもおもしろい表現ですね。
    なるほど!……と、とても感心しました。
    自分たちの暮らしを見つめる力と言う事では、暮らしに必要な知識を蓄積することは前提ですが、「知識=自力で確実に出来ること」の棚卸しが大事かなと思っています。
    私の場合、よく知識として知ってる事を、出来る事と勘違いしてフィールドの現場で、
    たまにあたふたと慌ててしまう事があるからです。
    そういう意味でも、最後の「感度を上げる」というくだりはとても共感しました。
    そして昔、学生時代に山岳部に属していた時に先輩から言われ肝に銘じている言葉が浮かんできました。
    それは、「もし予想外の出来事に直面した時は、最悪の事態だけは避ける事だけに集中しろ。そんな状況で最善の結果を目指したら、大抵の場合取り返しのつかない状況に陥ってしまう。」

    いずれにしても、私も暮らしの解像度をより高める為に、精進していかねばと痛感しました。

    • aw より:

      piropossibleさん、コメントありがとうございます!

      面白い表現ですよね。僕は仕事でも解像度という言葉を使うことがあるので、それもあって、引用しているブログを初めて読んだ時、しみじみと「上手に表現するもんだなぁ」と関心しましたね。

      「知っていることと、できることの違い」なるほど、本当にそうですね。特に今は、情報が何でもすぐに簡単に入手できてしまうので、ここをしっかり押さえておかないとエライことになりかねませんね。

      「最悪の事態を避けることだけに集中しろ」という言葉も重みがありますね。危機対策や防災の準備を日頃からする中で、いざその場になったら最悪の事態を避ける=命を守ることに集中するべきという考え方は、すごく参考になると言いますか、「このやり方、この準備で最悪の事態を回避できるか」という視点は、落とすことのできないとても大切なものだなと思った次第です。

      piropossibleからいただいたコメントから、すごく学ばせてもらいました。ありがとうございます!

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