T町ハウスの夏 2018
8月に入って一週間ほど経ったころ、ほんの少しの雨が、しかし久しぶりに降って気温が下がり、いつもなら暑くていられないテラスで気持ちよくお茶を飲めた日がありました。
その日あたりを境に朝と晩の気温がほんの少し下がり、お盆を前にしてすでに秋の気配を感じる日もありました。連日、室温が40度を超えていた昨夏よりも、少し涼しく過ごしやすい気がします。
そしてお盆が過ぎ、昼間はまだ暑いものの、朝と晩は一気に秋めいてきました。
今年の夏、さらっとまとめ
昨年は暑すぎて、プール遊びすらできないくらいでしたが、今年は保育園から帰ってプール、朝ごはんを食べてプール入って保育園、なんて日もあるくらい、プールの出番が多い夏になりました。
ひとりでも楽しそうに遊ぶ娘
今年は娘のプール遊びにしっかり付き合おうと、パタゴニアのバギー・ショーツを買ったのですが、あっと言う間に涼しくなってしまいました。
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2階の寝室にエアコンを取り付けて、砂壁を木の板に変更したので(壁と木の間に断熱材も)、昼寝も快適に。
週末は、親子3人揃って昼寝してます(娘の眉毛、立派だな……僕に似て)
暑がりであるマシューのために一階の和室のエアコンは終日フル稼働しており、結果、いつでも涼しい状態の部屋=避暑室という、これまでのT町ハウスにはなかった機能が加わったことも、涼しく過ごせている理由です(一階のエアコンも新しくしましたしね)。
涼しいと元気なマシュー、スマホに熱中している娘
娘と過ごす時間
お盆も仕事のトム(妻)を見送り、二日酔いでクラクラしながら、プールではしゃぐ娘の様子をぼーっと眺めていました。
水と少しのおもちゃがあるだけなのに、なんでこんなに楽しそうなんだろう?
同様の疑問は、彼女と一緒にいる時にいつも僕の中に生まれてきます。
小さな葉っぱを水路に落として流れるさまを食い入るように見つめていたり、セミやカエルの鳴き声に耳を澄ましたり、階段の昇り降りを繰り返したり、サンダルの留め具が思ったように留められず試行錯誤を繰り返していたり……何もかもが初めてで、慣れていない体験の連続となる彼女の時間は、驚きや興奮、恐怖や不安、喜びやストレスに満ちているように見えます。
とうの昔に忘れてしまったそうした感情を、僕は今、彼女を通じて再度、味わうことができています。
ずっと前に、友人が「子どもと出掛けるのがとても楽しい」と話ていたのですが、「親と外出する」という行為を子どもの立場からしか評価できなかった当時の僕は、なぜ楽しいのか、理解できていませんでした。
今は分かる気がします。このあまりに慣れ過ぎてしまった世界を、ゼロから鮮度感たっぷりに(あ、汽車だ! あ、大きい雲だ! お日様ってまぶしい!等々…)楽しむことができるわけですから。
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しかし、当然のことながら、良いことばかりではなく。
何かあればすぐグズるからです(笑)。
おやつの冷凍みかんの皮がうまく剥けずにイラつく娘
最近は急速に言葉を覚え、聞いた言葉をすぐに使ってみたり、「いつ、そんな言い回しを覚えたの?」と驚かされることもたびたび。
が、しかし、彼女の希望や要求が通らない時、言葉で説得し、納得してもらう諦めてもらうのは至難です。
けれど、僕はそれを楽しめています。
娘がまだおっぱいを飲んでいた頃、泣いてグズると、トムは抱っこしておっぱいを飲まていました。すると、すぐに落ち着いて泣き止むんですよね。それを見て、「あぁ、僕にもおっぱいがあったらなぁ」と何度考えたか知れません。
いつもトムがいるわけではないので、僕ひとりで泣いている娘の相手をしなければいけない日も当然ありました。
そんな時は、自分にできるあらゆることを、とにかく試してみるわけです。
おっぱい作戦の何十倍もの時間をかけて、ようやく彼女が落ち着いてくれた時は、大きな達成感を感じることができましたし、そのうち、泣きじゃくる娘を落ち着かせる、という一連の行為を楽しめるようになっていました。
だから、成長しておっぱいを飲まなくなった娘が泣いてグズった時に僕がやっていることは、以前と変わらないんですよね。言葉に加えて、おもちゃ遊びやスマホ、近所の散歩など、選択肢(娘の希望・要求に対する代替案)はかなり増えてきましたが(反面、体重が増えてきたので、長時間の抱っこは厳しくなってきました……)。
僕にはおっぱいがないんだから時間がかかって当たり前と、のんびり落ち着いた気持ちで話しかけていると、不思議と娘も落ち着いてくれるような気がしています。
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来年の夏は娘とどんな時間を過ごしているんだろうと想像しつつ、さて、ぼちぼち保育園に娘を迎えに行ってきます。