雪の上を娘と歩いてきた

僕が活動を(ほんの少しだけ)お手伝いしている「智頭の山人塾」という団体があります。農学博士で、元鳥取大学乾燥地研究センター特任教授を勤めていた山本福壽さんが主宰する山人塾は、鳥取県智頭町で多くの講座や実習、野外活動を通じて山里での暮らしや林業の魅力を伝える活動をしています。

今週末、「冬芽観察・スノーシュー体験」という楽しそうな実習がありましたので、およそ1年半ぶりに、山人塾の実習に参加してきました。

智頭の山人塾 2/11 野外実習「冬芽観察・スノーシュー体験」
毎年実施している実習。写真は2022年の様子です(画像出典: 智頭の山人塾




冬芽観察・スノーシュー体験

実習が開催される鳥取県智頭町は、僕たちが暮らす鳥取県鳥取市から車でおよそ30分にある山間の町です。

朝9時半に智頭町役場に集合して自己紹介や注意事項の共有のあと、同町富沢地区の県道(津山智頭八東線)の除雪終点まで車で移動。各自が装備を身につけ、雪道散策の準備をします。

僕は昨年末に買ったMSR EVOを持参しました。

CAMP HOUSE 雪の上を娘と歩いてきた - MSR EVO
購入後、初めての使用です

娘は子ども用のスノーシューを借りました。

CAMP HOUSE 雪の上を娘と歩いてきた - 娘にとって初めてのスノーシュー体験
他の参加者の後ろをついてまわる娘氏

今回が彼女にとって初めてのスノーシュー体験でしたが、そもそも子どもは雪遊びが好きですし、雪の上を自由自在に歩ける道具を与えられたら、それだけでテンションあがりますよね。とても楽しそうに歩いていました。

今回のコースは先述のとおり、県道の除雪の終点がスタート、つまり除雪されていない道を歩いてみようという企画です。

もともと別のコース(冒頭の写真のようなロケーション)が検討されていたようですが、先月末の大雪による倒木などで支障が生じる可能性があるため、直前になってこのコースに変更になったとのこと。

森林や雪原を歩くのに比べれば、ややもすると単調になりそうなコースではあったものの、ふだんは車で走る道を自由気ままに歩くのは新鮮な体験で、思った以上に楽しいものでした。

CAMP HOUSE 雪の上を娘と歩いてきた - みんな好きに歩く

山の中につくられた道なので、周囲は木々に覆われています。

CAMP HOUSE 雪の上を娘と歩いてきた - 林道のような県道

この実習は「冬芽観察・スノーシュー体験」。そう、スノーシューで歩くだけではありません。木々がつける冬芽や歩いたエリアの植生について農学博士の山本福壽さんが講義し、参加者からの質問にも答えていく、学びの場でもあります。

CAMP HOUSE 雪の上を娘と歩いてきた - 山本福壽先生が色々教えてくれる図

例えば、下の写真。スギとヒノキが隣り合うようにして生えています。

CAMP HOUSE 雪の上を娘と歩いてきた - スギとヒノキが並んでる
左がスギ、右がヒノキです

両者が同時に植栽されることはあまりなく、それぞれ別の場所で植え広げられてきたスギとヒノキがちょうどこの辺りで出会ったのではないか、ということでした。

その他にも様々な話題や質問が飛び交い、専門家の氏に失礼ながら「なんでそんな詳しいの⁉︎」と、話の内容そのものよりも山本さんの豊富な知識に舌を巻く僕でした。

そしてそのような「大人の話」に無関心な子どもたちは(笑)、自分たちだけでさっさと先を行き、何をしてるか話てるかはよく分からないけれど、何やら楽しそうに歩いておりました。

CAMP HOUSE 雪の上を娘と歩いてきた - この日できたお友だちと一緒に歩く

2人は同い年、今日初めて会ったのですが、すぐに仲良くなり、その後のお昼ごはんも一緒に食べ、帰り際までずっと遊んでいました。

90分ほど雪道を上り、眺めの良い場所で休憩。お腹が減ってきたので引き返しました。

CAMP HOUSE 雪の上を娘と歩いてきた - 折り返し地点で休憩している図

その後、地区の公民館で食事。しっかり運動したあとのごはんは美味しい!

CAMP HOUSE 雪の上を娘と歩いてきた - aw弁当
awお手製のお弁当。娘もほぼ同じ量をペロリでした

天気にも恵まれ、終始和やかな雰囲気で実施されたイベント、娘も「また参加したいな」と言っていましたし、僕も彼女に同意。次は、仕事で参加できなかったトム(妻)と3人で参加したいですね。

関係性と世界、幸福度

僕はこの山人塾にWebサイトの管理や情報発信などで関わっていますが、こうして実際に実習に参加するのはよくて年に一度程度。

娘も大きくなってきたのでもう少し参加の頻度を上げていけたら、そしてできれば、他のさまざまな団体やコミュニティが開催するイベントに家族と一緒に参加して、行動する領域や関係する範囲を広げていきたいと考えています。

それだけが目的ではないものの、僕や家族が他の人たちと楽しい時間を共有できる場所、大切にできる関係性を持つことができたらいいなと思っているからです。

限られた関係性の中で育ってきた僕

僕は、小学校に上がる頃に今も両親が暮らす家に引っ越して、21歳で東京に出るまでずっとそこで暮らしていました。

小学生の頃は、放課後は同じ学校に通う近所の友人と遊ぶ毎日。高学年、中学生になって多少行動範囲は広がったものの属しているコミュニティは同じ、僕の世界は自分の家と、通う学校だけでした。

高校生になった頃、中学時代に仲の良かった友人たちが別々の学校に進学したため、関係性を持つ場所や人たちは飛躍的に広がりましたが、それとは別の経路で繋がることができたダンス※1やバイトの仲間は、特に大切に感じられるものでした。

複数の世界に属す

先述のとおり、僕の幼少期は家族と近所の友人との関係性が全てでした。

学校で嫌なことがあった時などは、家族や近所に暮らす友人のいる世界が僕の逃げ場になっていました。でももし、近所の友人たちからいじめられて、そこに僕の居場所が無くなってしまったら、僕はどうしていただろう……大人になってから、時々そんなことを考えます。

高校生の時ならば、家や学校でトラブルがあったとしてもダンス仲間やバイト先、他とはほぼ完全に切り離された世界があったので、そこに安らぎを見出せていたと思います。

僕は、究極のコミュニティは家族だと考えていて、あらゆるものに優先して大切にしていますが、そのような経験・経緯から、外の世界、複数のコミュニティとの繋がりを家族の構成員それぞれが持つことも非常に大切だと思っています。逆に言えば、繋がりの少なさはリスクになると考えているわけです。

当然、僕たち親が娘を無理に何かに属させることはできないし、それでは楽しいわけがなく、良い関係を築くこともできないでしょうから、まずはさまざまなジャンルのイベントに参加して自分が楽しいと思うことを知ったり、そこでたくさんの知らない人たちと接することからはじめたい、今はそう考えています。

良い人間関係は幸福度を高める

人間の幸福(と健康)を高める最も大切な要素は、お金でも社会的地位でもなく、良い人間関係だと言われています※2睡眠も大事だと信じていますが笑)。

仕事や地域、学校や習い事といった(ある種の)利害関係の外で、人との関係を築くことを僕たち親も娘も学んでいきたいですね。

  1. 1988年頃、「天才タケシの元気が出るテレビ」の1コーナー、「高校生制服対抗ダンス甲子園」が大ブームとなり、僕も一生懸命踊っていました。
  2. PRESIDENT 「ハーバード大75年の追跡調査「人間の幸福と健康」を高めるたった1つの方法

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Live in Tottori-Pref, JPN. Love Camp, Sandwich, Coffee, Beer and Scotch on the rock. Pursuing Self-Sufficiency Life.

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